1989年4月〜1990年3月 幻の門

 三田の「幻の門」も今となっては本当の「幻」となってしまったが、南門の道路を渡ったところにも「幻のSFCがあった」と言っても、その意味を理解する人は今はほとんどないだろう。

 バス停と中華料理屋に向かって左手奥に慶應義塾の敷地があり、そこに三田文学の編集部、そしてSFCの準備のためのプレハブ住宅があった。むろんここですべての準備作業を行ったのではなく、準備のための総合企画室は階段を上がって左手の南校舎1階にあった。ここでは連日企画室長の福留さんを中心に文部省関連だけでなく、ありとあらゆるSFC関連の作業が行われ、積み上げられたダンボールの山だけでも、目がくらむ思いだった。SFCの開設初期を語るとき、こうした多くの事務の方々の連日の作業を忘れてはいけないと思う。

 「幻のSFC」はプレハブの、階段を上り下りするたびに建物全体がきしむのではないかというような施設だった。1階が会議室で、われわれの外国語教材作成などの作業は2階で行った。塾管局の第三会議室とは比べることもできないが、予約なしにいつでも自由に使えるというのが最大のメリットだった。おまけに、そのころのSFCはすでに本格的な工事に突入していた。進捗状況の報告を聞き、写真を見るだけでも夢がわいたものである。

 文部省がらみの問題や、塾との交渉などで、両学部長・学部長補佐は相当の苦労をされたことと思うが、この頃には初年度から新学部に参加していただく予定の先生方も集まり、全体としては熱気のようなものがプレハブ全体を熱くしつつあった。

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