1990年4月 SFC開設


▲SFC開設直前の工事現場。

 新設キャンパス開設もカウントダウンの段階となったが、われわれ移籍メンバーには不安以外の何ものもなかった。

 工事はまだほとんど終わっていない。合格者がキャンパス見学に来ても中に入れず、「立ち入り禁止」の柵の前で、ぽろぽろと涙をこぼしていた女子高生もいたと聞く。

 学生担当の責任者をしていた私は、それ以上の深刻な問題をかかえていた。一期生しかいないキャンパスライフをどうつくりあげるかということである。全くの新設大学であれば、学校が始まってからゆっくりと考えればすむ。だが、塾内の他キャンパスにはすでに百数十年におよぶ学生生活の伝統,習慣,諸行事等が根付いており、入学者の多くもそうした慶應義塾の伝統にあこがれて入学してきている。日吉・三田の距離であれば、学生をそこに合流させればすむが、片道2時間の湘南藤沢キャンパスはあまりに遠すぎる。

 体育会はどうするのか、という問い合わせもすでに早い段階から学生部と体育会よりあった。カリキュラムの都合上、独自の体育会を持つ学部もあり、SFCにもその選択肢はあった。その場合、慶應義塾体育会とSFC体育会の2本だてになるが、私はやはり体育会はひとつのほうがいいと思った。「勉強に集中したい」との理由で体育会をやめた学生の成績が、多くの場合逆にその後落ちているという学生部の調査結果が当時あった。従って、本格的にスポーツをやりたい学生は伝統のある塾の体育会で、趣味としてやるならサークルでと考えたわけである。

 だが、そのサークルなるものもどうなるのか皆目わからない。

 そこで、当時慶應義塾高等学校校長をされていた稲田先生に依頼し、SFCに進学する塾高生たちに協力をあおいだ。入学式翌日に始まるガイダンス初日に地元の方々の歓迎式典が予定されており、それにあわせて、キャンパスの学生活動のたちあげの先頭に立ってほしいと依頼した。

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