1990年4月4日  SFC開設初日

入学式の翌日はSFCでのガイダンスである。SFCの戸外行事は必ず晴れるというジンクスを皆さんはご存知だろうか。前日はどしゃぶりでも、当日は必ず晴れる。確率は9割以上である。私が記憶する限り、はずれたのはたった一度。一期生が卒業する年の七夕祭だけ。この夜だけはまさに英語で言う「犬猫の雨」で、私もずぶぬれになって、一期生たちと最後の盆踊りを踊った。ただし、今でもあれは「自然の雨ではない」と思っている。雨なんて、どこからでも、人間の心の中からでも降るものだ。

 

 

 

 話を十年前に戻して、当日の朝、遠藤の空はきれいにはれあがった。今ならすべての祝典は中庭だが、その中庭は工事の真っ最中。加藤・相磯両学部長を中心に本館前の階段下に集まり、地元の皆さんが用意してくださったクスだまを割ると、「ようこそ遠藤に」の垂れ幕。「ようこそSFC」でなかったところが心に残る

 あとは三田・日吉からかけつけてくれた慶應義塾応援指導部と、特別協力の地元の幼稚園の鼓笛隊との、まさにミスマッチが最高の競演…遠藤の皆さんの笑顔も最高だった。園児たちには鉛筆などの慶應グッヅをプレゼントした記憶がある。地元の方々が餅つきをしてくださったのも、いかにも遠藤らしい光景であった。

 当日は剣道八段の福本修二教授(現慶應義塾高等学校校長)とAOで入学した男女学生との模範演武も行われた。

 両学部長の挨拶や、キックオフレクチャーに始まるSFCの伝統となった諸行事は、Ω館の4教室をフルに使って行われた。心配した椅子の取りつけも、当日朝には見事に修了していた。

 シータ館はまだ陰も形もなく、おまけに予想を上回る数の学生(1135人)が入学してきたために、諸手続き、学部と男女に分けての健康診断のタイムスケジュールで事務室はたいへんな苦労であった。ちなみに、この学期は、私の「言語と認知」(当時の言語a)も、同一授業を二回に分けて行ったし、フランス語、ドイツ語はそれぞれ予定の4クラスではなく5クラスという変則的な授業を余儀なくされた。幸い1年生しかおらず、専門課目、研究会、大学院もないので、初年度はさほどの混乱もなくおさまったが、一期生との出会いはまさに嵐の中のそれであった。

 第一回の「キックオフレクチャー」は、SFCを作り上げた重鎮のひとりである鈴木孝夫名誉教授(言語文化研究所所長)、商学部の村田昭治教授にお願いした。

 

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