1990年7月下旬  春学期終了

何が何だかわからないまま終了した春学期だった。何もかも新しいことばかりだった。

 

【セメスター制度】

欧米に留学した経験を持つ教員はだれでもセメスター制度になれているが、それは学生の立場によるもので、日本の学生を対象にこの制度による授業を行った経験がある教員はほとんど皆無であった。夏休みに入って一息つき、たまった原稿などを執筆し、そろそろ秋学期の授業の準備でも、と思うころには授業シラバス提出の締め切りになっていて、いやおうなしに大学の現実に引き戻される。学生関係の委員などをやっていると、9月に入ればすぐにその準備作業に入らなければならない。

 たしかに教職員側の負担は大きいが、学生の教育のためには、この学期制は正しい選択だった。90分の授業を13,4回というのは、本格的なセミナーなどでも十分すぎるまとまりである。

 

【授業シラバス】

「シラバス」という言葉を私は知らなかった。一学期間の毎回の授業内容を事前に学生に文書の形で提示するものだが、この「毎回の」というところが難しい。従来の授業であれば、一年間に教えることの総体は把握していても、話の途中で授業終了のチャイムが鳴れば「続きは次回」となり、1月の最期の授業で消化したところまでが試験範囲である。

 たしかに夏休みに秋学期の講義計画をたてている最中に、翌年の1月の十何回目かの授業で話す内容を決めるのはたいへんな作業ではある。授業というのは、実際の進行具合にそって流動的に組み立てて行くものだとの意見もある。だが、全教員が総合的に教育プログラムを作りあげるという考え方のもとでは、学生だけでなく、教員どうしもお互いにその年の他の同僚の授業内容を把握しておく必要がある。

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