1994年3月24日 第1回Take-off Rally

 

 

 これについては、一期生の学生たちとは、彼らが2年生のころからすでに話しをしていた。三田の卒業式とそれに続く園遊会も最高の行事だが、最後はやはりSFCから巣立って行きたいというのが一期生の多くの願いだった。ただのセレモニーではない。それだったら卒業式前にやってもかまわない。学生たちにとって、加藤・相磯両学部長、スタッフの先生方、世話になった事務の方々、さらには警備のおじさんたちに見送られてSFCを出るときが自分たちの本当の船出なのだという。

 「開設十年たったら、大きなことをやろう」、こんな話しもよく話題となったが、その時も現実に訪れてしまった。

 第一回テークオフラリーは、定年を迎えられ、千葉商科大学の学長に就任されることとなった加藤寛学部長の送別会も兼ねる行事となった。教職員・学生のだれもが思ったのは、これでSFCのひとつの時代が終わった、ということである。

 加藤先生は学生たちの内輪話では「カトカン」と呼ばれていた。普通に考えれば失敬なことであるが、当時のSFCでは違っていた。世界的な経済学者であり、慶應義塾の学部長である方が、親しみをこめてすべての学生たちから愛称で呼ばれた例は多くないだろう。それだけ先生は学生たちに慕われていた。

 第一回テイクオフラリーの準備は、二期生、三期生、四期生が徹夜の連続で行ったそうだ。「一期生の皆さんありがとう」と同時に、「今度は私たちがSFCを作る番だ」…こんな気持ちもあったろう。

 事実、当日の式次第は手がこんでいた。両学部長が演壇から式辞を述べるというような手順をふまず、シータ館の学生・教員が一体となって、両学部長とともに湘南藤沢キャンパスでの4年間をふりかえり、母校の未来にエールを送るという、お互いにうちとけた、いかにもSFCらしい門出の儀式であった。私自身は式典への列席を許されず、二階の特設コーナーで、キャンパスのハード部門の総責任者として学生のめちゃくちゃな要望に頭をかかえながら対応してきた清水総務課長、一期生の舵取り役を務めてきた高橋寿佳君と共に、酒瓶を片手に中継映像でコメントやらチャチャを入れるという、妙な役割をおおせつかった。

 この時の加藤先生の、学生たちを送り出す言葉は、別に用意したビデオで聞いていただきたい。経済学とは無縁の塾外出身者の私にとっては残念なほど短いおつきあいであったが、先生がSFCを語る多くの場に同席させていただいた。だが、涙で言葉につまった先生を拝見したのはこの一度限りである。

 当時のなつかしい映像に思いを深くし、先生方や橋本龍太郎氏等のメッセージをめぐってのあらたな感慨や笑いもあり、SFCアウォード表彰学生の荘厳な儀式もとりおこなわれ、まずは第一部がお開きとなった。

 第二部は会場を地下食堂に移してのパーティーであるが、ここでのことはもはや言葉で伝えられるものではない。SFCという環境で4年間すごした、それぞれの人との出会いと別れがある。私たち教職員にもさまざまな思いはあるが、言えるのはただ「がんばれよ」、「いつでもSFCに戻っておいで」…これだけである。

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