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夢の都のおはなし


パリという都市は田舎である
人々が田舎者であろうと 努力しているように感じる


パリは川の中洲に流れ者が住み着いたところに端を発した「新しい」街で
彼らはそのことを忘れていないらしく その中洲を「シテ(街)」と呼び続けている

ポンピドゥー・センターや新凱旋門を持ちだすまでもなく
彼らは常に(渋々と かも知れないが)新しい血を取り入れ続けてきた


この新たな都市生活者達は 当然「田舎者」であることを自覚しているし
自覚するからこそ 「都市の掟」としての言語や作法が必須とされ
洗練された振舞いが美徳とされる
それは支配階級においてすら例外ではない


そして当然のこととして 続く田舎者を受け入れる

試してごらん「こんちわ 英語でもいい?」と現地語で言う努力を見せるだけで
彼らの顔色が暖かく変わるから


彼らが「田舎者」であったことを忘れ 新参の「田舎者」を軽視するようになったとき
都市は進化の歩みを弛め 単に大きな田舎へと変化してゆく

この 街の「退化」(「堕落」でもいいが)に危機感を覚える為政者によって「遷都」は行われてきた
とさえ思う

パリはそのことを恐れ 「田舎であること」または「途上であること」 に心血を注いできた
(そのことを含め あまりに人工的で馴染めない という人も もちろんいるんだが...)




伸縮を繰返し多くの都を持つ美しき国 ドイチェランド
「世界に冠たる」と言い始めたことによって ヨーロッパの田舎国家に転落した
現在は無礼者の巣だ


かつて合衆国は「食い詰め者の移民の国」という自覚を持っていたはずだ
彼らが人類史上最悪の戦いを制し 世界の覇者を自称したとき 彼の国は
「田舎者の国」から単なる「大きな田舎」に成り下がったのではないだろうか
まあ 今の大将(猿)を見れば御分かりかと


さて 僕らの街は? そして僕らの国は?





田舎者とは 出身や言葉のアクセントなどで定義づけられるものではなく
そういう自覚を持たないものにこそ相応しい呼称なのではないだろうか

パラドクスではあるけれど このパラドキシカルな構造/振動するエッジの存在こそが
「都会」の条件なんじゃないだろうかね




この街にいると 田舎者であることを恥じるどころか 誇らしく思えてくるのだ
だから田舎者だっつーんだよ! という声もあろうが...


ただな 田舎者に向って「イナカモノ」なんて言ったら 何をされても文句は言えないぜ
都市を前に進めるほどの コンプレックスの大きさを思いたまえよ 「都会者」諸君...



#田舎者らしく恨み節で終わってみました (w





at Paris 10/25/2002

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