幻の「青・赤パンフレット」

 塾内からの移籍メンバーは1989年秋学期からすでに総合政策、環境情報の教員として、それぞれが担当する作業に入った。私は学生・地元担当、広報という仕事をおおせつかり、最優先の仕事として、文部省認可以前から受験生あてのパンフレット作成にあたった。石川塾長、加藤総合政策学部長、相磯秀夫環境情報学部長のメッセージ、学部創設の理念、カリキュラムの解説…ここまではいい。だが、ソフトはともかく、ハードについて書けることはほとんどない。

 文部省の申請以前に、塾内高校の生徒たちに向けた案内書のようなものが必要であり、ワープロ文書をコピーして製本し、青い表紙をつけただけのパンフレットを作り塾内に配布した。こちらは塾内であるので、SFCと両学部の内容の説明だけで十分であった。女子高、志木高、塾高の生徒たちを相手に新キャンパス宣伝の言語戦略網をはるのは無用な作業である。

 頭を悩ましたのは、入学願書とともに全国に送られる、外部向けのパンフレットである。

普通はどこでも、そのキャンパスとして誇る建物・施設・設備などをカラーの写真入りで紹介し、それらを実際に利用して楽しくキャンパスライフを送っている学生たちの映像なりコメントなりを載せるのだが、SFCには「ソフト」があるだけで、「これを見てください」というハードが何ひとつない。

 建物の写真一枚すらないのである。本館、オメガ館などは急ピッチで工事が進んでいたが、こんな工事現場の写真を掲載した日には、受験するつもりの学生でさえやめてしまう。
 幸い私たちには「慶應義塾」という伝統があったし、新学部設立の趣旨とそのカリキュラムにも自信があった。だが、日吉・三田ではない、この湘南藤沢キャンパスに目を向けてもらうためには、やはり初年度にはそれなりの言語戦略が必要であった。そこで急遽作られたのが当時「赤本」と呼ばれた、表紙以外すべて白黒の学校案内である。関係者と一期生以外、この冊子を記憶している人はほとんどいないだろう。

 塾長と両学部長のメッセージ、カリキュラム紹介などは塾内の「青本」と同じだ。キャンパスライフについては、慶早戦や三田祭で何とかなる。こまったのは、若い受験生が最も関心を持つキャンパスそのものである。キャンパスの写真は設計を担当された槙文彦東京大学教授の設計事務所で作られた発泡スチロール製の立体模型でごまかし、イラスト的な地図も掲載した。

 あとは「言葉」の世界である。この部分は詩人であり、フランス文学者の井上さんと私が執筆した。「言語政策」は二人の最も得意とする分野である。井上さんはキャンパス周辺の環境のすばらしさを、まさに詩的にうたいあげたが、SFCとは全く関係がない八王子を基点に湘南海岸一帯をさまよい、大磯やら鎌倉やらの歴史や景観を絶賛し、はては西行まで引用しているうちに、一度として遠藤地区に接近することなく予定の頁をおえた。

 私の担当はキャンパスそのもの。こちらはそう簡単にはごまかせない。すべて「…の予定です」「…することになっています」でごまかし、「湘南の若者の熱気がただよってくるようにさえ感じます」という台詞で、湘南藤沢キャンパスの名称を盛り上げた。

 出来あがった赤本を手にして、高橋潤二郎学部長補佐(当時)が、ひとこと。「井上さんと関口さんは、大学教授よりは悪質不動産会社のほうが向いているようだな」…さんざん苦労したのにひどい誉め言葉だが、二人ともしごく納得した。

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