塾内進学者のSFC批判

 こんなことを言うとしかられるかもしれないが、初年度にSFCに進学した塾内進学者の多くは、よく言えば「冒険者」、悪く言えばちょっと「ひねた」層ではなかったろうか。

 たとえば塾高の場合、文科系の成績優秀者の多くは当然経済学部を志望したろうし、その逆の生徒たちも、三田キャンパスにつながるそれなりの進路選択をしたと思う。何も好き好んで遠方のキャンパスに進学する必要はない。 

 だが、開校して間もなく私自身が驚いたのは、塾内進学者のひとりひとりが自分なりの思い入れを持ってSFCを選択していたということである。

 それは実はSFC開設以前にも少しは実感していたことでもある。塾内進学者が進路先の学部を考えはじめた1989年の冬、まさに完璧な工事現場の中で塾内高校の3年生を対象とした新学部説明会とキャンパスツアーが行われた。といっても、説明会はプレハブの工事用の事務所の二階、キャンパス内は歩けないので、仮設の櫓の上から、まるでサファリパークを一望するかのような状況だった。私が担当した女子高からは20人ほどの生徒たちが参加してくれたろうか。

▼女子高に向けた工事現場見学会
 すべてが終わって見送りに工事事務所の外に出たとき、数人の女子高生に囲まれ、言われたのが「湘南藤沢キャンパスという名称をやめていただけませんか」というものだった。これには驚いた。「慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス」というのは、私たちが思いついた最高のネーミングであり、「これで名前は決まり」と思い込んでいたからである。「SFC」という略称も少しずつ定着しつつあった。

 意図がわからず絶句する私に向かって彼女たちが続けたのは、「湘南という言葉に先生たちの日吉・三田に対するコンプレックスを感じます。これだけすばらしい計画なら、私たちはむしろただの藤沢キャンパスで来たいと思います」…まさに「やわらちゃん」に強烈な一本背負いをくらった気持ちであった。

 見学ツアーに参加したうちのどの程度がSFCに入学したのかは記憶にないが、それから数ヶ月たった夏休み前のある夜、今夜も夜間残留と決めこんで研究室で仕事をしていると、8時頃にノックの音とともに、この女子高出身グループが7、8人研究室に入ってきた。まさに、娘たちが「今日はお父さんに言いたいことを全部言っちゃおうよ」という雰囲気である。その「言いたいこと」とは「今のSFCには慶應義塾がどこにもありません」というものであった。

 「それを君たちにぜひ作ってほしい」と説得して、彼女たちも半分ほど納得して引き上げたが、いつも塾高・志木出身の男子学生から言われていることと重なって、いろいろと考えさせられた。

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