1990年春学期某日  サークル結成の会

 「某日」としたのは、公式行事ではないので、どこをさがしても正確な日付が記録されていないからである。一期生の中心メンバーの記録ではガイダンス直後とあるが、塾高出身者以外の参加メンバーの多くを私がすでに授業などで知っていたということは、もっとあとである可能性が高い。

 SFC第一回の入学式で学生たちに約束したように、SFC独自のサークルを作ることについてはこちらもそれなりの準備があったのだが、横並びの1年生だけで、誰かがいつか先頭に立って組織を結成することはむずかしい。塾にはきちんとした体育会があるので、インターハイクラスの学生が行き場がなくて同好の士を集める必要もないし、文系でも、AOで入った学生はそれなりの活動の場を外部に持っている。

 そこで行ったのが、正式名称は忘れたが、「サークル結成の(お見合いの)会」である。キャンパス中に大きな掲示を出し、「サークルを作りたい皆さんは、某月某日某時限にそれぞれの案内を持ちよって呼びかけをしましょう。興味のある学生諸君も参加して、自分が入りたいサークルを見つけましょうと呼びかけた。初年度の90年5月中旬だったと記憶するが、当時唯一場所として提供できたオメガ11、21でこのお見合い会は行われた。

 この日のことは今でも鮮明に記憶している。始まって30分か1時間たって後ろの方から入っていったのだが、それぞれ独自のプラカードを持って宣伝をしている。アメフトの連中はユニホームに用具をつけてデモンストレーションを行い、サーフィンスタイルも見えるかと思えば、「国際関係研究会」などの名札をテーブルに置いた学生がさびしく来客を待っている…

 入学式に始まり、4年間常にSFCのイベントの中心を担ってきた高橋寿佳君の記録によると、当日の参加者は300人、文科系15、体育系20ほどの団体が組織され、同君が卒業する時まで、そのほぼすべての団体が活動を続けていたという。テニスなどのいくつかの球技では、参加希望者が多すぎていくつものサークルにわかれ、今はその数ももっと多くなっていると聞く。もっとも、その後の公認団体申請の企画書や活動報告書を見ると、多くのテニスサークルは夏にはサーフィン、冬にはスキーのサークルに変身している。初年度は仮申請で、2年目にサークル棟への入棟の許可を含めて実績をチェックしたところ、近くの女子大学との合同コンパ(合コン)しかやっていないような例もあり、責任者に猛省をうながしたこともある。

 アメリカンフットボールでは、何故か女子学生の入部希望者が初回だけで数十名になり、その多くがマネージャー志望。当時アメリカからSFCに参加してもらったばかりの環境情報学部の富田さんの発案で、女子のタッチフットとかいう別サークルに変身したそうだ。事務室の学生担当の高野君から「タッチフット」と報告を受け、「何だ、それは?」と聞くと、背中にタッチするとタックル成立と同じ扱いになるとのこと。何故か私自身が顧問をすることになったラクロスとあわせ、わけがわからないまま公認の認定をしたが、現在では両サークルとも日本のトップレベルで大活躍しているそうだ。

 同時に誕生したアインクライネスは現在まさに日吉・三田のワグネルであり、その他私のような老人にはとうていついていけないようなダンスグループ、スペインやアジアその他を中心とした民族舞踊グループ、最近ではアカペラというのを聞いてとても感動した。その他今となっては数え切れないほどのサークル活動をすべて紹介できないのは申し訳ないが、SFCのこうした学生諸活動が厳しい授業の合間をぬって、また逆に共有する環境を生かしながら展開していることがうれしい。

 この項のまとめに − 私として忘れられない、というより、思い返しても腹が立つ、というよりため息をつくだけの、とんでもないサークルが当時二つあった。某音楽系サークルと、某体育系球技サークルといえば、昔を知るSFC関係者のすべてが理解されることだろう。ひとりひとり首根っこをつかまえて、当時のいたずらを白状させてやりたいところだが、今となってはなつかしいほうが先にたつ。おまけにもう時効だ。

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