1990年7月6日(金)  第一回七夕祭

 5時限目のオメガ館での私の授業に池の横の仮設通路にひしめきあって向かう学生たちをもうすこし待とうかと考えてオメガ前のテラスで一服していた。

 その時ふと思いついたのが「七夕祭」である。最近よく「ミスマッチ」という言葉を耳にするが、私が当時さいしょに思いついたのもこのキーワードだった。ハイテクが進めばあるところでの「文化へのゆり戻し」があるが、当時のSFCはそんなのんびりとした状況にはない。私たち教職員も、キャンパスも走りつづけていれば、それを期待して入学してきた学生たちも頬を真っ赤にして背走してきていた。そんな時代である。恵まれた環境を選択して入ってきた学生ではない。自分たちにもその設計に加わらせてくれ、そんな一期生の若者たちだった。

 早速清水総務課長に相談したところ、遠藤地区の地元の方々の協力をとりつけてくれた。SFCの樹木等を担当している慶緑産業が盆踊りの舞台を作ってくれることになり、踊りのグループの方々が盆踊りの指導をしてくれ、伝統の和太鼓の協力も得られた。

 まだ今のようにキャンパス内のイベントを企画する学生側の委員会もない当時なので、まずはいつものごとく高橋寿佳君に依頼し、企画委員会のようなものを組織してもらった。本人に言わせると、依頼というよりは命令に近かったそうである。何しろ七夕までには2、3週間の時間しかないので、さっそく地元の方々においでいただき、学生たちを含めて、企画の会議を開いたりした。

 第1回の七夕祭は7月6日(金)夕刻と決まった。それ以来、毎年7月の第一金曜日に行うのが伝統となった。

 七夕祭の一週間ほど前だったろうか、「七夕祭当日は浴衣や法被で授業に出席してもかまいません」という掲示を出した。これもまた、二年目からは、わざわざ掲示を出す必要がないSFC特有の伝統となった。

 初年度は中庭が使えないので、正面の階段下にやぐらを組んで盆踊りを行った。まだ学生団体の出店はなく、食堂と生協、それに地元のボランティア団体のあけぼの会が採算を無視して食事や飲み物を販売してくれた。花火は生協の提供と記憶する。

 この第1回七夕祭は小規模ではあったが、今の学生イベントの原点になった。その第一の理由は、SFCのイベントは教職員と学生が一体となって行うということ、第二は環境を配慮したイベントにしよう、ということである。前者については、他キャンパス、他大学では学校主催の行事と学生主催の行事が明瞭にわかれているが、SFCでは、ガイダンスのようなものでさえ、学生と教職員が一緒になって企画、実行している。

 後者は、我々教職員よりはむしろ学生側の提案であった。イベントにつきもののゴミの散乱を阻止しようと、学生たちが協力しあい、ゴミ箱ではなく「資源回収箱」という考え方が芽生えたのもこの時からである。祭が終わったあとで、企画委員の呼びかけに応じた一般学生までもが本館前の植え込みの中までチェックしていた光景が今でも目に焼き付いている。

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