秋祭を中心とした諸イベントの企画

 SFC祭の企画はすでに初年度春学期から始まっていたが、これについては全塾をめぐる次のような問題があり、実現までには時間がかかった。
@「学生祭」については全塾をあげての「三田祭」があり、日吉でもその前夜祭が行われているだけである。
A遠隔地のキャンパスということで独自の学園祭を認めるとしても、三田祭と競合する時期に挙行するのには問題がある。
B全協との問題

 学園祭の開催そのものについては、キャンパスの環境や、地元との共催などの点から理解していただいた。

 全協との問題というのは、数十年前から慣習の「自治会費」の還元のことである。1960年代後半から1970年代にかけての、大学紛争の結果、慶應義塾の自治会は自主解散をしたが、塾側としては、母体を失った自治会にかわり、継続して徴収せざるを得ないのが「自治会費」である。ひとりあたり年間750円の小額だが、塾生全体としてはかなりの金額である。

 そこで、集まった金額を塾内の公認団体に公平に配分する役割を担ったのが全塾協議会、つまり全協である。その配分その他をめぐって当時すでに問題が顕在化しつつあったが湘南藤沢キャンパスの設立と同時に一期にそれが噴出した。SFCの学生もこの自治会費を支払っているにもかかわらず、一円たりとも還元されていなかったからである。

 これについては塾の学生部、そして何より栗林学生部長に配慮をいただき、度重なる会議や、泊り込みの合宿まで行った。自治会が解散して久しい段階とはいえ、学生の自治活動を重視する塾としての基本理念から、指導はしても圧力はかけない、このあたりに栗林学生部長も私も一番苦心したところである。SFC学生代表としては高橋寿佳君が当時まだ1年生にもかかわらず、三田におもむいては、全協の上級生たちとの交渉にあたった。

 学生たちの希望は、できれば初年度に、遅くとも2年目にはSFC祭をやりたいということだったが、このような事情で、第1回SFC祭(秋祭)は3年目の1992年に初めて実現のはこびとなった。

 追加の余談だが、欧米からの帰国子女の場合、寒い冬の期間のイベントの記憶が多い。体育祭が終わるや、今度はクリスマス、ハローウィン等のイベント企画の申し込みが次々と寄せられたが、これについては、各グループごとに事務室に企画書を提出し、食堂等の施設と交渉してやってもらうよう指示した。学校としてはそこまではできないし、調子にのってつきあうと、正月から餅つき、凧上げ大会、はてにはカーニバル、までやらされそうな盛り上がりの雰囲気であった。

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