1986年10月1日  第1回新学部検討委員会開催

 

たしか三田塾管局の第3会議室で行われたと記憶する。その後、定期的に水曜日の夜に三田で会議を開き、新学部の構想について熱心な議論が展開された。

 当初から2学部設立ということで、外部では新学部のいろいろな名称がとりざたされた。当時の塾生新聞(87年1月10日号)を見ると、「国際関係学部、社会管理学部が有力」などの見出しがあり、たしかに私自身もそんなうわさを塾内でよく耳にしたものだが、実際に学部名が決まったのはかなりあとのことである。

 これは第1回の会議の席上であったと記憶するが、高橋潤二郎現常任理事他の先生方から、「学部名はあとまわしにして、まず新キャンパスの理念や、二一世紀の若者に必要な教育とは何かについて徹底的に議論をしよう」という提案があり、事実それに相当の時間を費やした。総合政策、環境情報という入れ物を先に作って、そこに中身を入れたのではなく、中身を体型的に組み立てていった結果、それにつけられた名称が総合政策、環境情報なのである。

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