1991年5月  クラブ棟運営準備委員会結成

 秋からは体育館とともに念願のクラブ棟が使えるめどがつき、その運営や入居のルールを自主的に考えるための準備委員会が結成された。大学紛争最中に青春時代をすごした私たちの世代は、基本的に管理を学生団体にゆだねる会館の運営はいかに頭の痛い問題であるかを知り尽くしている。

 その後委員長になった杉原章郎君を中心とした運営委員会メンバーとは頻繁に非公式な話し合いを続けたが、驚かされたのは、彼らには私の世代の危惧は無用であるということだった。

 学生団体の部室同様、われわれ教員の共同研究室もまた「既得権」というものに守られて、いったん確保すると永久に住みついてしまう。SFCではそれをやめようということで、共同研究室はプロジェクト単位の申請とし、それが終了しだい、新しいプロジェクトに部屋をひきわたすという方式をとった。従って、共同研究室の使用申請は今でも毎年更新を含めて審査がおこなわれている。

 学生たちもまた、同じルールをクラブ棟についても適用したいと言う。一学期ごとに活動実績報告とあらたな申請を出させ、何の活動もしてこなかったサークルには部屋をあけわたしてもらう、というのである。さらに、年に数回使用するだけの団体用に、共同で使える自由な空間もいくつか確保したいという。

 あらためて申し上げるが、これはスチューデントライフ委員長としての私の指導でも圧力でもなく、彼ら自身が討論のうえに考え出したことである。

 今はそうではないようだが、鍵も個別の団体にはわたさないというルールを作り、毎回クラウン(クラブ棟運営委員会)の事務室で借り出して、開錠、施錠のたびに返却する形をとった。問題はその鍵の管理にあたるスタッフの確保で、有償・無償のいろいろなケースを含めて検討したが、ここから先は私が口をはさむことではなく、ただ、端末が一台あれば無償でも空き時間に管理人をしてくれる学生がいるのではないかと、その手配をしただけである。

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クラブ棟余談

 クラブ棟は1991年9月下旬に完成した。出来あがるとすぐに見にいったが、その印象はすこぶる悪い。内部はすべて生コンクリートの打ちっぱなしで、殺伐としている。「このまま窓に格子を入れたら…」などという悪い冗談もとぶほどで、両学部合同運営委員会で報告したところ、即座に見学、ということになった。先頭に立たれた高橋潤二郎学部長補佐がひとこと、「これは未来からの留学生のいるところではない」。新たな予算をつけて、ただし内装の仕方については各入居サークルにまかせることとした。壁紙を貼るもよし、棚を設置するもよし、ということである。

 もうひとつ、ヘビースモーカーの私自身が懸念したのは喫煙の問題である。火事は論外のこととして、上下関係のある大学のサークルで、下級生のノンスモーカーは文句は言えない。そこで、これだけはちょっと口出しをして、クラブ棟内は禁煙とし、そのかわりに外の各所に灰皿を置いてもらうようにした。

 先日、学生部の責任者をはなれて数年ぶりにクラブ棟に立ち寄ったところ、外の灰皿はひとつもなく、鍵もみな自分の鍵束のものであけていた。これもやはり時の流れか…