1991年7月  第二回七夕祭

 二期生にとっては高い学費を納入した大学が提供する当然の環境であろうが、一期生にしてみれば、これまであった工事現場のバリアがいっぺんに消滅し、まるで水槽から池に放たれた魚のような気分だったに違いない。初めて開放された中庭で七夕祭もいやおうなしに盛り上がった。祭というのは、工事現場の下の道路でやるよりは、やはり山の上の開かれた空間で思いっきりはしゃぐほうが楽しい。

 第2回目までの花火は、一期生がラウンジの上で既製品の花火をあげた。打揚花火がようやく可能になったのは3回目からである。打ち上げ場所は階段の正面のテニスコートの工事現場。4回目は雨で中止だったが、その後5回目からは中高グラウンドであげることになった。

3回目においては、ニ期生の田代光輝くんらが花火企画を任され、わざわざ浅草の花火屋で免許を取得した。花火師の免許とるまで、花火屋や消防署と人間関係つくることに労した彼らの苦労は計りしれない。

 生協では七夕用の浴衣の販売を始め、七夕祭企画委員たちでそろいの法被を作ったのもこの年だと記憶する(あるいは翌年だったか…)。私も当日はこの法被をはおって「言語」の授業を行った。

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