体育会学生の活躍

 開設4年目の完成年度を迎え、AO入試学生を中心とした体育会学生の活躍も顕著になってきた。当時の佐々木三男氏の文によると、「ようやく慶應の仲間入りができたように感じます」とあるが、まさにその通りである。

 福本氏の剣道、佐々木氏のバスケットボールはむしろSFCが本拠地のようなものであるが、それ以外にの部門でもSFC生の活躍はめざましかった。特にテニスについては、再び佐々木氏の言葉を借りれば、「陸の王者慶應」の復活であったようだ。男子の藤井慶三君(総4年)、日置映正君(総3年)の活躍もさることながら、アメリカ育ちでアガシのコーチに指導を受けた柴田薫君(総2年)、優秀な母親の教育を受けて育った宮内美紀君(総2年)は、その後卒業するまで慶應義塾女子テニスの黄金時代を作り上げた。ちなみに、現在西武球団で活躍する高木大成君も彼女たちと同じ三期生で、野球部のホープとして活躍を始めていた。

 佐々木氏は、これらの学生たちの学業を「好評」と記しているが、これは体育指導者としての控えめすぎる表現であり、現実は「絶賛」すべき若者たちが多かった。外国語を担当していると、こうした学生たちの日常が手に取るようにわかる。週に8時間のインテンシブの授業に毎回出席し、成績もトップクラス、しかも体育会ソッカー部副主将を務めた学生とか、予定外の全国大会の決勝戦に進んでしまったり、国際大会の代表に選ばれてしまったりで、いつもは無欠席の授業を数回休まざるをえないとの相談とか…塾体育会の長い伝統がSFCにも受け継がれていることを、何度となく実感した。

 西暦2000年のラグビー部(蹴球部)の全国制覇についてもひとつ言及しておきたい。三期生で私の研究会の指導的立場にあったラグビー部のH君という塾内進学者がいる。彼は準レギュラーのような位置で、4年生の春学期から公式戦にもたびたび出場できるようになった。秋学期は当然レギュラーである。ところが、春学期の研究会の打ち上げコンパで彼が私に言うのには、秋には自分たちは出場を辞退して、チームの本格的な建て直しを監督といっしょになってやりたい。そして彼らは目の前のレギュラーの座をすてて、部の復活に専念した。それが昨年、今春の慶應義塾ラグビー部の活躍を作ったということを知る人間は、体育会関係者でも少ない。

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