夜間残留

 日吉・三田の友達に通用しないSFC用語というのが数多くあるが、その代表がこの「夜間残留」なる言葉である。

 初年度から学生とバトルを繰り返してきた私にはごく日常的な用語に思えていたが、あらためてホームページの形でこの四文字を見つめると、何とも不思議な言葉である。誰が最初に使った言葉かの記憶もない。ひょっとすると私かもしれない。要するに、通常の大学業務がすべて終わり、教職員の最後の一団が帰ろうとする時にまだある部屋に明かりがともり、心配になって「君たちまだ帰らないの」と質問し、「2時頃に父が車で迎えに来てくれる予定です」とか、「朝までここでレポートを書くつもりです」といった連中が夜間残留のはしりである。

 初年度は特に教員も少なく、学生が自由に使える共同研究室などが多かったせいか(しかも全員高校4年生)、空き部屋を学生が勝手に使うなどのケースも多かった。もちろん塾生なので、自分たちが選択したSFCに対する思い入れなどから生まれた諸種のグループなのだが、疲れきって研究室で寝付いたとたん、湘南コミュニティーの警備の方から、○○館○○室で女子学生がひとりで寝ていますがどうしましょう等の連絡が入り、本人を起こして親に迎えにこさせたり、半ば意識不明の男子学生の場合には私のソファーベッドに寝かせて関係者と連絡をとったり…こんなのは一度や二度ではない。「上級生がいない。いるのはお父さんの世代だけ」、こんな気持ちを味わったのも、まさにこの頃だった。

 夜中に車で夜食とビールの買出しに出かけ、特別教室をカラオケルームにしたとんでもないサークルとか、まあ、数え上げたらこれだけでひとつのホームページができそうなありとあらゆる出来事があったが、みんなに「SFCが楽しい」 という共通項があったので、学校側も暖かく対応し、私も片目をつぶった。

 「物理的な24時間キャンパス」もしょうがないかとも思った。

この頃に初期のメイルの不正使用をめぐる事件もいくつかあったが、それについては今回は述べたくない。本文をお読みの塾生諸君であれば、それがどんなものであるか、どうしてそのようなことをしてはいけないのか、などをきちんと理解していると思うからだ。

 先頭を走る人間は、予想もしなかったものにぶつかる。あとから来たものはその備えがある。SFCの10年の体験もそんなものだった。

 度重なるトラブルで、当時の学生の意見も二つに割れた。

その1−一部の不見識な学生が特別教室を不正使用しているだけなので、24時間態勢は続行すべし。

その2−特別教室の使用ルールを守らない学生が一部にいるので、学校の手で管理、ならびに夜間の使用を禁止してほしい。

 こうした意見をもとに、学生の間で、「24時間問題検討委員会」なるものが生まれ、Ωの教室で何回も活発な討論会が行われた。委員長のK君ともとことん議論したものだった。

 この会には私も毎回出席し、ただ発言はしないで、塾生諸君が自分たちで自分たちのルールを作ってもらいたいと見守っていたのですが、それは1年生だけの新設キャンパスではむずかしい課題だった。

ある日のSFCの重要な会議。

 結局この問題は私たち教員側の手に戻され、委員会で決定されることとなった、私は今でも高橋潤二郎先生(現常任理事・当時環境情報学部長補佐)の発言がすべての決着になったと思っている。先生のひとことは単純明快だった。「今はいろいろおきるだろうが、そのうちに学生が自分たちのルールを作ってゆく。それまで待とう…」。

 それからほぼ10年、高橋先生の予測されたモラルは,確実にSFCに根付いていると思う。若い皆さんにぜひお願いしたいのは、塾とSFCのこうしたひとつひとつの伝統を、たとえそれが小さなものであっても受け継ぎ、後輩に伝えていってほしいということである。

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