1988年6月〜7月 最終案がまとまり文部省への申請

 個人的なことだが、私は外国語の全プログラム、人事がまとまった段階で、この年の3月下旬に研究休暇をとり、ミュンヒェンに旅だった。留学から帰って10年の時がすぎ、SFC発足前に充電しておきたいという気持ちと、ドイツ語の教材開発のための資料収集、さらには欧米での外国語教育の現状を見ておきたいというのが大義名文であった。従って、翌年の3月までの一年間のことは、当時定期的にいただいた同僚の手紙や話で知るのみである。

 主として外国語教育を担当する言語コミュニケーション研究所の基本は私の出国前にすでに出来あがり、経済学部から移籍された井上輝夫教授をヘッドに、他大学の外国語教育施設を見学するなどの重要な準備作業を行っていた。1989年3月に私も帰国し、合流した。

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