たいてい、他愛もない会話が盛り上がるのは、夜半を過ぎた頃である。
特に脈略も無く、目的も無く、何も祈らず、何も願わず。そういった目的の無い、いわば思考の引力方向に逆らう事無く進んでいく滑空感は、魅力的である。
でもそうなってくると、もともと目的が無いだけに、明確な終焉というものは見出しにくい。そう、状態は「とうに夜半を過ぎて」なのだ。相手は今日は早起きかもしれないぞ。もしかしたら、明日朝早いのかもしれない。
「もしかしたら、眠いのかもしれないし、ああ、こんな話題、つまらないかも。あ、でもでも、今終わりを切り出したら、つまらないと思ってたと思われちゃうかな?こちらは楽しいけど。うーん....」
などと思案しながら、進んでいったり、戻っていったりする(笑)。
「巡り合いなど ただの偶然 別れるために出会えるだけで
すべてが運命だ」なんて もう 言わないで(橘いずみ, 「ハムレット」)
まあ、そうは言ってもなかなか達観できないものなのです(事実)。
「勝つことばかり考えている。どうやって負けたら良いのかも、考えなくちゃ。それが名人というものさ。」(犀川創平, 「笑わない数学者」)
その通りです。犀川先生。
コメント (1)
逆に、明日自分は早いのに、と頭の片隅で思いつつ
相手の話に耳を傾けているとき、
そこには孤独を忘れるヒントが隠されているような気がします。
だからこそ夜半を過ぎた頃の会話はやめられません。
全ては幻なのかも知れませんけどね(笑)
投稿者: きよ | 2005年01月31日 14:14
日時: 2005年01月31日 14:14