« 2005年05月 | メイン | 2005年07月 »

2005年06月 アーカイブ

2005年06月01日

an ace up JUVE's sleeve

ユベントスが8年ぶりに来日。つまり、デルピエロのプレーが日本で見れるチャンスである。デルピエロファン(クラブチームで一番好きなのは”我が”ACミランだが、デルピエロははずせない)にはたまらない企画。しかも場所が横浜国際(ニッサンスタジアム)。運良くチケットも入手出来たので、初めて生のデルピエロとユベントスを見た。

デルピエロはその類稀な容姿と共に、プレーが華麗である。「デルピエロゾーン」から繰り出される美しい弧を描くループシュートや、一瞬の閃きからの信じられないようなトリックプレーはまさに「ファンタジスタ」、イタリアの至宝の面目躍如である。

デルピエロについては、忘れられないゴールがある。確か彼のお父さんが死んでしまった直後の試合。当然大きなショックを受けたデルピエロだが、彼の父がサッカーを大好きだったこと、サッカーをしている彼をとても応援していてくれたことから、出場を決意。ユニフォームに喪章をつけてピッチへ。そして見事にゴールを決めた彼は、人差し指を天に向けて祈りを捧げたのである。

なんと素晴らしい鎮魂歌。見ている方もちょっと胸が熱くなった。本当の「エース」を見た瞬間。

さて、実際の試合の方は、W杯予選の日程の関係もあったものの攻撃陣はデルピエロ、トレセゲ、ネドベドという豪華メンバー。来日直後ではあるものの、随所に光るプレーを見せる。そして、前半42分。

ゴール前の混戦から、一瞬フリーになったデルピエロが、高いバウンドのボールを一度地面に落とし、浮き上がったところで渾身のボレー。ボールは見事にゴールネットを揺する。拳を突き上げるデルピエロ。
観客が期待している状態で、ここ一番で、必ず決める。

まさに”an ace up JUVE's sleeve”。ユーべの切り札。

デルピエロの前の”イタリアの至宝”、ロベルト・バッジョが来日した時にも観戦に行った。その試合でバッジョは2ゴールを決めた。

それが、「本物」の実力なのだろう。

2005年06月02日

Do you have a HONDA?

本日はツインリンク茂木にて実証実験。

スリパリーコースという、低ミュー路(非常に滑りやすい路面)コースを貸し切って、自動車のABS情報をインターネットを介して収集するシステムの動作検証を行うためである。

まず、集合時間が朝の11時。家を7時半に出て、一路栃木県へ。途中の常磐道と、水戸インターを降りてからのワインディングロード(ほとんど信号が無い!!)を「安全に配慮しながら」pushした結果、10時過ぎには到着してしまった。

スリパリーコースは複数の低ミュー路から構成されているのだが、一番スリッピーな部分は、ブロックパターンタイルと水の散布によってミューは0.3程度、圧雪道路(アイスバーン)とほぼ同じ滑りやすさになっている。つまり、夏タイヤで(しかもABS無し)アイスバーンを走行するようなイメージだ。

実験準備の合間を縫って試しに走行してみると、ハンドルを切ろうがブレーキを踏もうが車はまっすぐ進んでいく(笑)。これは相当凄い。
コース設備のおかげもあり、実験はつつがなく無事に終了。各車見事にABSを作動させていた。

実験終了後、ツインリンクのスーパースピードウエイの体験走行と、ホンダコレクションホールをほんの少し覗く。ウイリアムズホンダ、マクラーレンホンダMP4/4,MP4/6, NSX, そしてデルソル(笑)。

「レースの勝敗は、技術の優劣を証明する。」ここに来ると、ホンダ魂に火が着いてしまう。やっぱりカッコいいなぁ、ホンダ。

帰路の間は、「日曜日からの使者」が頭の中でヘビーローテーションだった。

2005年06月07日

shape of thought

国際会議に出席するため、スイスのジュネーブに移動する。

今回はフランクフルト経由の便が取れなかったため、一旦フランスのシャルル・ド・ゴール国際空港(CDG)まで行き、そこからジュネーブに移動する経路となった。

成田-CDGは、とにかく長い。半日近く飛行機に乗ってなければならないのである。いかに時間を上手に使うかがポイントで、今回は小説2冊と雑誌2冊、ipod shuffleを持って挑んだ。
しかし、離陸してしばらくし、何気なく上映映画を見て作戦変更。「オペラ座の怪人」をやっていた。まさに救世主。とりあえずそれを3回見る。3回目は早送りしながら、好きなシーンをかいつまんで見たりした。ビデオ・オン・デマンドの素晴らしさ。

その後、少し眠ってから、「ミリオンダラー・ベイビー」を鑑賞。さすがアカデミー賞主要4部門を取った作品。映画として完成度が高かったが、かなりヘヴィな内容。いたたまれない気持ちになりながら眠りにつく。あとは雑誌をぱらぱらめくったり、転寝をしているうちに何とかCDGに到着。

5回目となるCDGだが、相変わらず見事な造形である。

CDG_top.jpg

"The Long Way Home"
CONTAX U4R
CDG/Paris, France

2005年06月08日

The Better Part

その後、1時間10分のフライトを経て無事にジュネーブに到着。そこから電車に乗って市街地に出たら、時刻は既に22時を回っていた。

そこからトランクを引きながらホテルへ。会議会場となるITUから進められたホテルのルームタイプは満室で、同じホテルの違う部屋を予約していたら、最上階のテラスルーム(笑)。
部屋の広さもさることながら、最大の驚きはアメニティグッズに隠されていた。

HERMES.jpg

"The Better Part"
CONTAX U4R
Geneva, Swiss

Union

スイスは快晴。

何故か海外出張中は健康的な生活を送ることが出来る。朝6時半に自然に目が覚め、ちゃんと朝食を食べてから徒歩で会議場へ。20分程度歩く。

会場であるITUは、UN欧州本部の目の前にある。昼食は、見学も兼ねてUNのカフェテリアに行った。
食べ物の量もグローバルスタンダードだったが、一番目を引いたのはトレイのデザイン。さすがUN。

UN_table.jpg

"Union"
CONTAX U4R
UN/Geneva, Swiss

Sun and Shadow

欧州の街並みは、それ自体が観光対象となり得る。

最新の建築技術を持ってしても構築することが出来ない「歴史」というデザインが、近代的な生活風景と融合する様子は、異国に来ているということを強烈に感じさせると共に、何故かある種のノスタルジィも喚起させる。遊園地にあるメリーゴーランドのような感覚に近い。

学生時代には、ほとんど風景や景色というものに目を向けることが無かった。そもそも旅行自体の魅力をあまり感じていなかったと言っても良い。何も遠くに行かなくてもほとんどのものが手に入るし、風景や建築物に関する知識は遠隔地でも十分に鮮明に取得出来た。写真の被写体としての風景には興味があったが、「ただ見て歩く」というモチベーションはあまり高くなかった。

最近は、こうした何気ない風景や自然、建造物を「鑑賞」するようになっている。
心が広くなったのか、エッジが削れてしまったのか、おそらくその両方であろう。

この時期の欧州は日が長い。会議が終わってホテルに帰ってきてからでも、テラスに出ると空の蒼さを堪能することが出来る。空の先にはモンブラン等の山々がそびえ立つ。
少し肌寒い気候だが、空の蒼さはそれを補って余りある。

epsom_terrace.jpg

"Sun and Shadow"
CONTAX U4R
Geneva, Swiss

2005年06月09日

Night Train to Babylon

ブレを使った作品も久しぶりに撮ってみたいと思っていて、良い機会と思ってシャッターを切った。こういう写真は一回勝負。動いている物がどういう風に写し込まれるかを予測するのは困難だが、それをしないと良い絵は撮れない。もちろん、偶然の助けも必要だが、それは努力を怠った時には訪れないことを、経験から学んだ。
これまでに払った高価な授業料によって。

train_geneva.jpg

"Night Train to Babylon"
CONTAX U4R
Geneva, Swiss

2005年06月13日

ミッフィーはじめました。

数奇な運命を辿って、たくさんの子等を譲り受けました。

miffys.jpg

"Dear Bruna"
CONTAX U4R
SFC, Japan

全部を2シーターの助手席に押し込め(特大の奴はシートベルトを締めて固定)搬送し、一度に抱えて歩く様子は学生曰く「夢一杯な姿ですねー」とのこと。間違いない(笑)。

全部並べて遠近法で同じ大きさにして写真を撮るのが夢。

2005年06月15日

守護神

最近忙しくて研究室にいられない僕の変わりに、皆を優しく、暖かく見守っている様子。
学生席からパーティション越しに見ると、耳しか見えないけどね。ふさふさ。

miffy_atdesk.jpg

"The Smile"
CONTAX U4R
SFC, Kanagawa/Japan

2005年06月17日

Against the Madness of Crowds

何かを前に進めようとする意識と、それを阻もうとする意識のせめぎあい。

後ろ向きな議論に何の意味があるだろうか?教育的な思想も持たずに、ただひたすらに前進を拒み、己の利権や保守を心がけて、いったい何が齎されるのか。対案も持たずに、否定だけをするために議論に参加していて虚しくないのか。それが生きていく為の知見なら、そんなものは要らない。

パワーゲームや交渉過程のそれ自体に価値を見出し、ビジョンが無くなっているのに自らの正義だけをことさらに主張する。

彼らは気づくべきである。己の無知と傲慢さを。
彼らは知るべきである。自らの主張の罪悪と空虚さを。
彼らは身に着けるべきである。浅ましい処世術剥き出しの声が耳朶を打つ嫌悪感とそれを感じる繊細さを。

2005年06月18日

リヴィエラを撃て

大学生だったころに読んだ高村薫の傑作「リヴィエラを撃て」。

もう三回くらい読み返していたのだが、最近記憶が薄れてきた(最近読んだ人と微妙に話しが食い違う)のでもう一回読みたいと思っていたが、我が家の本砦の前に捜索が頓挫していた。
仕方が無いのでもう一度買って読み直している(笑)。

大丈夫、この本にはそれだけの価値がある。読み終わった暁には”職場用”として利用可能だし、問題無い。

物語はIRA出身の元テロリストのスナイパー、ジャック・モーガンを軸に、幼少時代の親友である天才ピアニスト(兼、国際スパイ)のノーマン・シンクレア、MI5やMI6等の英国諜報部、CIA、そして日本外務省が複雑に交錯しあいながら、白髪の東洋人スパイ『リヴィエラ』の秘密に迫っていくという重厚な作品。

まず、プロットが素晴らしい。そして細部まで精緻に書き込まれた描写と、人間関係の機微がそれを引き立てる。ジャックの恋人リーアン、シンクレアとの交流や、シンクレアの友であるダーラム公とその妻レディ・アンの友情と恋愛感情と駆け引き、それぞれの所属する組織と立場と、それを超越した感情とのせめぎあい等が書き切られている。

テロリストとして、スナイパーとして殺人を犯し、成長したジャックが、シンクレアの正体を知ってから彼に出会うシーンは何度読んでも胸に迫る。

「私は、君の許しは乞わない。君をずっと愛している」
「僕も今は殺人犯です。サー・ノーマン、あなたのことは生涯忘れません・・・」
「サーは要らない・・・。私も君を忘れない」

短い逢瀬の後、ジャックがいえなかった言葉、「サー・ノーマン、僕は生まれ変わりたい。いつの日か、どこかであなたと出会いたい。そのときは、ピアノとウィスキーとバラの日々だ。そのときは、僕はテロリストではなく、あなたはスパイではない。」、そして万感の想いを込めた「ノーマン!」と叫ぶシーンは、作品中屈指の名場面である。

大人になったらまず読むべき作品の一つ。

2005年06月22日

ハチミツとクローバー

基本的には流行りもの(正確には、既に流行っているもの)には比較的手を出さないのだけれど、売れるものにはそれなりに理由があるわけで、ちょっと前から気になっていた漫画「のだめカンタービレ」と「ハチミツとクローバー」を読んだ。平行して読むというちょっと器用なことをしていたが、「ハチクロ」の方が既刊の巻数が少なかったので先にキャッチアップ。

面白い、というか、ちょっとハマる。基本的には、大学を卒業するかしないかくらいの美大生と美大卒業生による恋愛物語。わりとオーソドックスな作風だとは思うが、シンプルな絵と、セリフ(言葉選び)でさわやかな、淡い、それでいて時として残酷なほどの切なさが印象が残る。読後感で勝負する作品なのかもしれない。そうだとすると、ちょっと新しい。

後、突然入るとんでもない暴走(主に森田先輩が引き起こす)が、笑いを呼ぶ。森田先輩は”うすた京介”の漫画に出てきてもおかしくない。

基本的に皆が一方通行の気持ち(あるいは自分の気持ちに気づかない)を持って、不器用な恋愛をしている。そういう普遍的なシュチュエーションに弱いのかもしれない。

一番お気に入りのアングルは「真山」-「山田」-「野宮」。鉄人山田がお気に入り。

印象的なシーンとセリフを幾つか。

「ほんの少しでも 少しだけでも
 あなたの心が 私にかたむいて くれないかって
 
 どうして私は 夢を見てしまうんだろう
 くりかえし くりかえし
 あきもせず バカのひとつ覚え みたいに」
(羽海野チカ, 「ハチミツとクローバー」)

花火大会で、山田が片思いの真山に浴衣を褒められたシーン。山田の切ない心情が響く。


「何でなんだろう 俺は それまでずっと
 大人になった女は 自分のために唄を 歌ったりなんて
 しないんだろうと  思っていた」
(羽海野チカ, 「ハチミツとクローバー」)

真山の理花さんへの想いも切ない。

森田さんは「ごめん」「ごめん」とくり返し
「今度どこか遠くへ行くときはテレビ電話をおいてゆくよ」と
大マジメな顔で約束してくれた

それから2人で手をつないで家に帰った
自分の事を祈れない私は
かわりに
このあったかい右手の持ち主のしあわせを
浮かぶ月に祈った
(羽海野チカ, 「ハチミツとクローバー」)

山田と森田さん。「テレビ電話をおいてゆくよ」という森田さんに、幸せを祈る山田。

一つ一つのシーンをピックアップすると、べたべたな作品なようにも見えるが、これらがとっても"さらっと"しているのが凄い。色々な意味でシンプルでシャープ。
やはり人気があるのには理由がある。

2005年06月24日

新しい車選び

いよいよ佳境に入ってきた。

強い雨が降ると我がCR-X delsolの助手席とトランクは浸水によってびしょびしょになってしまう。走行距離も15万2千キロを突破した。エンジンも2機目だ。さすがにボディもサスペンションも悲鳴をあげている。走れなくなったり、嫌いになる前には次の機体を選ばないと。普通の車では納得行かない人間は、車選びにやたら時間がかかるのだ。

と思っていたら、偶然ちょっと突いたWEBに出ていたプジョー206CC S16に目が留まる。マニュアル、電動ハードトップ。コンディションも抜群。新車保証までついちゃってる。
電話でディーラに売れてないことを確認したら、ディーラも自信をもってお勧めできる車、とのこと。

仕事を怒涛の勢いで終わらせ、20時ギリギリでディーラに滑り込む。もう終業時刻なのに、電話に出てくれたディーラの方は、1時間以上も丁寧に、そして熱心に実車の状態や現状についての説明やプジョーというメーカについてお話してくれた。愛と誇りを持ったその姿勢に、車以上にグッと来た。

二代目デルソルが、決まったかもしれない。

2005年06月25日

今日のお言葉。

「恋をすると女の子はキレイになるっていうけれど
 ダメだな
 男はカッコ悪くなるばかり・・・」
(羽海野チカ, 「ハチミツとクローバー」)

永遠の真理だと思う。

2005年06月30日

新しい車。

ついに、決断の時。

大学2年生から乗り続けた愛車 CR-X delsolから、プジョー206CC S16に乗り換える事に。かなり辛い決断ではあった。でも、多分delsolが走らない状態になってしまったら、絶対に直してしまうだろう。走れるうちじゃないと、別れる事が出来ないような気がする。

この8年間、どこに行くにも一緒だった大切な相棒を失うのは辛いけど、これが摂理。大切な人生のルール。最後に、delsolはその事をオーナに教えようとしてくれている。
最後まで、本当に良く出来た奴である。

もう残り少ない時間だけど、最後まで、大切に乗ろうと思っている。時が、私達を別つまで。

そして、新しい206CCとは、もっと素敵な思い出を作っていかなければならない。それが前に進み続けるものの責任であろう。

About 2005年06月

2005年06月にブログ「Aim for the ACE」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2005年05月です。

次のアーカイブは2005年07月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34